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アクセス解析

ここ一週間ほど、弊社のホームページのページ別アクセス解析の統計を取っています。現在、180ページぐらいの項目があり、レンタルサーバーはアルファーメールを使っています。今まで、その使い方に無頓着だったことに気がつきました。

簡単に言うと、私自身はトップページの訪問者数にこだわっていたのに、すべてのページがトップページと同じ役目をしていることに気がつきました。トップページは、毎日、よほど新しい情報がないと、見向きもされていないようです。

弊社のホームページに不動産コラムというのがあり、その中に「東南の角地」という項目があります。これが、一番ヒットしているページでした。ヤフーとか、グーグルで検索をかけると、必ず弊社の「東南角地」のコラムが出てきます。ようやく、今月24日までの分析が終了。結果を参考に、よりよい情報を発信できるようにしようと考えているところであります。

14日にひいた風邪もどうやらおさまり、ほっと一息といったところですが、今度は花粉の季節がやってきます。一昨年の3.11以後は花粉プラス放射性物質も含まれているようなので、とても気になるところ。このところ、隣のファミマの店長が「社長が買い物に見えないね」と言っていたようですが政権が自民党になり、参議院選挙まであまり変わり映えもしないので、毎日買っていた「日刊ゲンダイ」を読まなくなったのが原因だと説明しておきました。


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武蔵野美術大学の卒展

今日といっても、すでに午前1時になろうとしていますから、もう昨日のことですが、出勤時に会社に向かっていると、日曜日というのに、かなり大勢の人が駅のほうから歩いてきていました。日曜日は創価関係の親子ずれが多く、それとなくわかるのですが、今日は明らかに若い人たちでした。

それにつれて、朝から来店者が多く、私も案内をしました。次から次というように、午前中は終了。朝、少し遅れて出社したら、専務はすでに案内に出ているらしく、事務所の店頭に「案内中」の札が、下がっていました。

これは、恒常的にあることなので、別に気にも留め居ません。ところが、そのあとに、二名の男性客が来社し、≪先ほど連絡したものですが≫と言いました。私は、何のことかわからないので、専務の携帯に電話をかけたところ
≪今、案内中!何の用!?≫とつっけんどんに言うわけです。専務は私の長男なのですが、声に表情を出してしまいます。≪なんだよっ、その言いぐさわ≫私も大人げなく御客様の前でいってしまいました。ちょっと荒れ模様!!!!

まっ、そんなこんなで、一日が始まったわけであります。そうしたら、午後の3時から、自治会の会合だということです。事前に聞いてはいたのですが、たまたま、お客様が途切れていたので、≪シーズン中は、会合は控えられないのか≫といったところ≪無理だね≫と木で鼻をぬぐったような答え、それで、朝方の噴火がおさまっていたのに、再爆発≪*\*4#*~"!?≫

翻訳すると≪自治会の会長だからと言って、会社が二の次では困るんだよ、せめて2月、3月のシーズン中だけでも副会長に代わって仕切ってもらうとか、少し会議を短くするとか話してみたらどうなんだ≫と言ったわけであります。

私自身も、小平市の宅建組合の三役を経験したことがありますが、必ずクレーマーが理事の中にいたりして、結構人間関係が小難しいことも。私は、この話があった時に、少しばかり危惧していましたが、専務がやってもいいというので承知しました。何人もの人数がいて、私自身もをわかければまだいいとして、三歩歩くと、直前にやったことを失念するような年齢になっています。今日も同じ町内の、私と同じ年齢の方の訃報がありました。

そんなこと私に言われ、内心≪コノクソオヤジ≫と思いながら会合に出て行ったと推測いたしますが、今日に限って、一時間ちょっとで帰ってまいりました。それで≪2月、3月は副会長に頼むことにした≫そうであります。これでひとまず解決。そんなわけで、今日も駅前不動産の一日は終了したのでありました。それから、帰宅して、配偶者のアッシーになってダイエーに買い物に行き、テレビで「トランスフォーマー」などを見ていたら、とうとう午前1時53分になってしまいましたとさ。



漢方の薬

昨日は咳がなかなか止まらず、私のほかに二名出社していましたので、午後2時過ぎに早退しました。17日は鷹の台水車通りの「ゆずるクリニック」に行きました。「めぐろクリニック」で抗生物質を処方してもらい、体中の痛みと熱は下がったのですが、今度は咳と鼻水がひどくなってきました。右側の腰痛が少し残っていて、そこに鍼とお灸をしました。このクリニックは内科と外科ですが、鍼灸師が女性2名、男性1名の3名います。

鍼灸が終わり、先生の診察時に「咳」が止まらないというと、漢方の【痲黄附子細辛湯】と【五虎湯】を処方してくれました。しかし、なかなか咳も鼻水も収まらず、昨日は 帰宅してから熱が37度ぐらいでて、少し寝ました。ようやく、咳が鎮まったのは今朝になってからで、漢方は即効性ではないようであります。

以前、何かの本で《漢方は見立てと投薬が適切であれば即効する》という記載を読んだ記憶がありますが、そこまでの神業を期待するのは無理なのかもしれません。弊社のホームページには朝日クリエイト通信があり、これは主に専務が書いていますから、夜寝る前に読めば、帰った後に何があったかは大体わかります。昨夜も11時ごろチェック。

さて、年が明け、もう3分の2が過ぎましたが、今年の不動産市況は売買も賃貸も動きが早そうです。3.11の大震災も、原発事故さえなければ、復興ももっと加速していたはずでしょうが、人為の及ばない現象だけに、どこか深いところに沈潜した恐怖を抱えている状況がなんともつらいところであります。あの時入居者が決まらなかった部屋が、かなり残っています。

昨夜、通販生活・春号の付録でついていた「ドイツ映画-みえない雲」のDVDを観ました。あらためて、原発の怖さと人間というものの愚かさに、エンデンクの字幕をみつめながら、配偶者と暫く沈黙。

十二所神社

前回の大国魂神社に続き、自宅から北側にある十二所神社のお参りは1月8日に行きました。私の自宅は立川市と武蔵村山市の境に位置していて、武蔵村山市の十二所神社が真北方向になります。自宅の神棚には、氏神様の「阿豆佐美天神社とお伊勢様、穴八幡様の御札が祭ってあります。

そこに、十二所神社の御札をお祭りしようというわけです。十二所神社は新青梅街道と残堀街道が交差する三ツ木の交差点を北進し、峰の信号を右折して30メートルぐらいのところを山側に左折するところにありました。入口にラーメンの旗が3本ほど立っていてすぐにわかります。住宅地図では駐車場があったのですが、何しろ、古い住宅地図だったために、駐車場は建売に変わり、以前は、神社用の駐車場らしいものも、住宅地として、道路が入っていました。

ラーメン店だけが、古い地図のまま残っていて、たまたま、その日は休業日。その手前に車を止め、神社の鳥居をくぐりました。ここは、大国魂神社とはまるっきり様変わりで、不動産業者に例えれば、大手不動産会社と町の小さな不動産屋ほどの違いがあります。急勾配の階段の登り口に賽銭箱が置いてあり、社務所とは名ばかりの小さな平屋が右側にありました。ちなみに、社務所は神社の左が定位置。お寺の庫裏は本堂の右にあります。

宮司は留守で、携帯の番号を書いた張り紙をしてありましたが、とにかく、急勾配の階段を上り、神殿にたどり着きました。神殿の前に、木の階段があり、その上にプラスチックケースに入った、御札とかお守りとか、さまざまな神社関連グッズが置いてあって、それぞれに値札が付いていました。

ところが十二所神社の御札が切れていて、お伊勢様の御札しか残っていません。仕方なく、宮司であるらしい大澤さんの携帯に電話したところ、明日、御札を入れておきますという返事で、この日は引き返しました。翌日は会社が休みの水曜日でしたから、朝、起きてすぐに御札をお受けしに行ったところ、すでに茶色のジャンパーを着た、四十代の男性の先客があり、プラスチックのケースに千円札をむき出しに入れ、御札を持って帰るところでした。

御金はおみくじ入れの箱にお金を入れる小さい穴があり、そこに小さく折って入れるように言われていたので、その人に教えてあげました。十二所神社の御札は三枚入っていたらしく、前の人はうっかり二枚持って行くところだったと一枚ケースに戻しました。

もう少し遅く行ったら、また出直すことになったかもしれません、さてその結果どうなる事かと思っていたところ、風邪をひいて寝込むことになり、まずマイナス現象が起きてしまいました。しかし、これは、毒出しと思えば、同等以上のプラス現象が起きるのではないかと、真面目に考えているところであります。

散髪と風邪

13日の日曜日に散髪に行きました。たいして忙しくなかったので、4時半過ぎに会社を出て、水車通りの大竹理髪店に到着。先客がいず、すぐ椅子に座りました。昭和40年ごろ、結婚したての私と配偶者は、鷹の台の線路際にあった五水庵という、2K、風呂付、新築のアパートを、会社の目の前にある「高田不動産」の先代に斡旋してもらいました。現在、その会社の前で不動産業をやることになろうなどとは想像さえできませんでした。

その頃の私の職業はバーのマスターで、店の所在地は小川駅の中宿商店街から一軒駅寄りに入ったところにあり、バーの名前は「ドン」と言いました。女の子は5人以上いたと思いますが、それぞれの名前は省略します。鷹の台には大竹理髪店が水車通りに、駅前本通りに渡辺理髪店があり、そのどっちも行きましたが、あるころから、渡辺床屋だけに行くようになりました。

しかし、二十数年前、水車通りの大竹理髪店の前で不動産会社を始めることになり、それ以来大竹さんオンリーになってしまいました。もう何年になるかはっきり覚えていませんが、大竹さんのところも先代が亡くなられて、現在は息子さんと御母さん二人で経営てされています。この日も、私が椅子に座るとほどなく来客があり、そのお客さんが終わると、またもう一名来客がありました、他の人が気づいているかどうか知りませんが、私には客を呼ぶ要素があるらしく、いわゆる福の神なのであります。

私は、若者のころから、アイパートか、パーマをかけていて、今でもアイパーをかけるので、結構時間がかかります。その上に、メインエベンターは息子さんなので、ときどき、隣の客の方に行き、その間待たされるわけであります。その日も、寒い日で、いつも思うのですが、私の会社の温かさに比べれば、桁違いに店内の温度が低い。前回、行った時も、寒いのを言わずに我慢していたら、それから一週間ばかり腰痛に悩まされました。

今回も寒いから暖房を強くしてと言えばよかったと後悔しております。そして、14日の成人式の日、出勤時は少し白いものが混じっているぐらいでしたが、会社に着くころには本格的な降りになってきました。1時過ぎに専務の奥さんを返し、私も3時過ぎに電車で帰ることにしたのですが、電車は遅れるし、途中で雨になり、長靴をはいて帰ったものの足を取られ、転ばないようにそろそろ歩いて帰ったら、足も腰も悲鳴を上げる始末。

一休みして、配偶者の五十肩(?)のリハビリは勘弁してもらって早めに寝てしまいましたが、それっきり、今朝まで腰の痛みと鼻水と37度5分の、私にとっては高熱と幻覚に悩まされ、6時30分ごろに早めの朝食をとり(朝食といっても湯豆腐、6Pチーズ2分の1、豆乳がここ2年間ぐらいの定番朝食)近くの、メグロクリニックに行ってインフルエンザの検査をしてもらいました。幸い検査は陰性でパス。薬を四種類ぐらいもらってきました。

この調子だと、明日も休みかなと思っていましたが、なんとか出社できることになりそうであります。あすは、会社の近所の「ゆずるクリニック」で鍼灸の予約をしています。それが10時45分。金曜日は大山歯科に歯の掃除に行きます。11時。前回お約束の十二所神社については、また明日。

大国魂神社

1月7日に二十数年ぶりに府中市に行きました。ある情報により、自分のいる場所から北か南にある神社をお参りすると運がよくなると知り、南の方角にある府中市の大国魂神社にお参りに行ったわけであります。西武線の「鷹の台駅」から国分寺駅に行き、国分寺の南口からバスに乗り、府中駅でおり、大国魂神社にお参りしてきました。

私の場合、神棚が会社と自宅に二つありますので、まず、会社の運気を上げるために、まず大国魂神社ということで、お札をお受けしてきました。神棚には氏神様の神明様とお伊勢様を祭ってありますが、9年前からお参りしている穴八幡さまに、今回は大国魂様が加わることになりました。

私ぐらいの年齢(?)になると、いまさら運でもありませんが、最後まであきらめないのか信条であり、なかなかしぶといのであります。二十数年前に府中市に行ったときは、その頃お付き合いのあった会社の社長に宅建業開業時に必要な供託金を用立ててもらうに際し、社長の取引銀行が府中市だったためでした。

さらに、昭和33年ごろ、私は府中市の「府中国際劇場」で映写技師として働き始めました。その会社の正式な名称ははっきりと記憶していませんが、多分、「国際映画興業」だったような気がします。この会社は映画館を四館経営していて、府中市にもう一館、府中新映座、国分寺市に国分寺国際劇場、成増市に成増国際劇場がありました。

当時は映画界が隆盛の頃で、松竹、大映、東宝、東映、日活の五社に新東宝をいれ、六つの映画製作会社があり私が働いていた府中国際と国分寺国際では松竹、大映、東宝、東映の四社の映画を、府中新映座では日活と新東宝の映画を三本立て70円の入場料で観せていました。ちなみに、業界用語では映画館は「小屋」、映画のことは「写真」といいます。

当時、私は、一応大学生であり、アルバイトのつもりだったのですが、場所が現在の東京競馬場のある府中だったのが運命と申しますか、また、その時府中国際にいた映写技師の伊藤君、関崎君、それに技師長の古川さん達が競馬好きだったことと、支配人の須田さんから競馬新聞の「競友」を府中駅の売店で買ってきてくれと頼まれたのがきっかけで、大きく人生が曲がってしまい、気が付けは不動産屋ということなのであります。

というわけで、本日現在、何となく、会社の運気が上がっているのではないかと思っているところであります。
明日は、自宅から北にある神社について書いてみます。つまり、神社二本立てということになるでしょうか。


プロフィール

オーパ

Author:オーパ
30数年前、それまで追いかけていたことに疲れてしまい、「不動産屋でもやってみようかな」と思い立ち、二つの不動産仲介会社に電話をかけてみました。二つのうち一つの会社は消滅してしまいました。残る一つは、まだ存続しています。今思えば、何をしたいかという明確な考えがなかったことに気が付きます。

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