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継続は難しい

23日の更新以来、約1週間休んでしまいました。少々調子が悪く、何もしたくない一週間でした。この状況は一年ぐらい前から続いています。今日も賃貸のホームページのファイルを移動させたとき、うっかり付属の画像を移すのを忘れてしまいました。その結果、あちこちにリンク切れが起きてしまいました。完全回復までは少し時間がかかりそうな気配です。

あとは、専務に任して帰宅し、パソコンに向かっているところ。関東地方もやっと梅雨が明け、今日も夏空が広がり、気分が晴れます。しかし、金子みすずの詩集ではありませんが、現在の日本列島は「見えないけれどあるもの」に汚染され、日本劣島になっています。

都知事選も自民党公認の一人と、自民党を敵に回したと見せかけた一人と野党統一候補との三つ巴となっていますが、マスコミ陣営は終始、誘導報道を継続し続けています。だいぶ前に「小泉劇場」というものがありましたが、その後の惨状は、すでにご経験の通りで、いつの時代も「悪魔は天使の姿でやってくる」のであります。

今朝もある局の朝の報道番組で、当たらない政治評論家が、日曜日の選挙速報での当確は、午後8時過ぎよりはだいぶ遅くなりそうだと、予防線を張っていました。当分の間は、野党の勝ち目はなさそうな雰囲気ですが、継続はちからです。あきらめないでいれば、そのうちに潮目も変わるのではないでしょうか。
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気について

日本には、気が付く漢字や、言葉が山ほどあります。木曜日に、毎月一度通院しているクリニックで定期検査を受けました。看護師のメンバーが変わっていて、あまり気が合わない看護師に血圧と、採決をされました。その日はなんとなく朝からだるい一日でしたが、いろんな数値が少し下がったり、上がったりしていました。

翌日の10時過ぎに、主治医の先生から自宅に電話があり、内臓が少し疲れているので、毎日飲んでいる薬を3日に一度にするように言われました。その途端に、気が滅入ってしまい、一日中、なんとなく気分がわるーくなり、体も、重苦しやらだるいやらで、会社でも仕事らしい仕事もせず帰宅しました。現在の病状も2月の検査の結果を知らせる、朝の電話から始まったのであり、なんとなく気が晴れない日が続いています。

それに天気も毎日カラッとしない日が続き、気分がさえません。しかし、今日は少し元気が出てきたようで、賃貸のホームページに少し手を入れたところであります。

広告の効果

先週の土曜日に何年振りかで新聞折り込みをしました。その効果は3日ぐらいしか続きませんでした。原因は、ホームページに魅力がないということに尽きるかもしれません。「健全な精神は、健全な体に宿る」という言葉をかみしめているところです。

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諺(ことわざ)

3月の下旬ごろから、火曜日はなるべく休むようにしています。水曜日は会社が休みですから、現在は週休二日制です。20年ぐらい前、ふと、もう一度、大学に行こうかと勉強を始めたことがありました。その時も会社の業績が低迷し、受験は1回で中止しました。現在は不動産業を取り巻く環境が、当時よりずーっと悪くなっていますので、あせっています。

それはそれとして、都知事選もあと残すところ10日。各陣営は、暑さのせいか、放射能のせいか、少しお疲れのようであります。大相撲もあと5日を残して全勝力士がなくなりました。横綱に衰えが見え隠れし、大関陣も今一つ。さて、日本にはいろいろな諺がありますが、今日は「上手の手から水が漏れ」るような舌禍発言がありました。

本人は覚えていないといっていましたが、現代は、ネット社会ですから、本人の発言と映像の魚拓が残ってしまいます。たぶん、グラフは下方にぶれたのではないでしょうか。すぐ脳裏に浮かぶ諺は『百の説法、屁一つ』ということわざです。偉そうに説法をする大和尚も、思わず屁をしたら、正体を見られてしまった。といったところでしょうか。

これは山本夏彦氏がよく使われていたフレーズですが「一度できてしまったことは元の昔に帰らない」。口は災いの元。こわいですね。

東京都知事選挙

私の父は選挙と賭け事と乗り物が好きな人でした。江戸時代から続いた造り醤油屋の次男坊で、醤油屋は長男が継ぎ、本人は現在の東京電機大を出て、当時、ラジオ屋と言っていた、町の電気屋さんをやっていました。私が中学校の3年生ぐらいまでは、醤油屋のほうもやっていたような記憶があり、3年E組の教室から、父の実家の蔵が見えていました。

父も母もあまり本を読まない人で、キングとか主婦の友という月刊誌があったことを記憶していますが、小説の類は一冊も見たことがありません。あとは父の職業柄で無線と実験という雑誌はいっぱいありました。終戦後は今の自民党が全盛で、選挙になると拡声器を持って、選挙に駆り出されていました。

私が、小学校に入学する前は、グッシュ?という外国産のオートバイに乗っていて、よく、醤油屋に連れて行ってくれたものです。商売は下手で、気に入らない相手だと、ラジオが壊れたといってきても、修理を断ることがありました。賭け事も好きで、仕事が暇なときはパチンコ屋に入り浸っていました。

そんな、性格を継いでいるせいか、私自身も選挙とギャンブルは嫌いではありません。目下、都知事選の真っ最中で、与党候補が二名、かたや、野党統一候補が一名で、三つ巴線の様相ですが、どうも、与党のほうは一筋縄ではいかないような高度のテクニックを使っているような気がします。

演説場所にいっぱいの聴衆を集めても、せいぜい1万人が限界で、いっけん人気がありそうに見えても、実際集まった聴衆が演説をしている候補者に投票するとは限りません。まっ、政治家と競馬の予想家はう・そ・を平気でつく人だと思ったほうがいいかもしれませんね。世の中などというものは、変えようとしてもそんなに簡単に変えられるものではないのであります。

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食事

先日、国分寺市の紀伊國屋書店で、藤田紘一郎氏の『50歳からは炭水化物をやめなさい』という文庫本を購ってきました。そこには炭水化物ダイエットが失敗する人の理由が書いてありました。人間は50歳を境にして、エネルギーを生成する仕組みが切り替わるのだそうです。詳しくは藤田博士の文庫本を読んでいただくとして、この1週間ぐらい三食のうち2回ぐらいご飯を少し食べていたのを中止したら、昨日はなんとなく具合が悪くなり会社を休んでしまいました。

今日は、昨日一日休養した結果、少し体調を取り戻し、いつもの時間に会社に出ました。お昼に、ハンバーグとオムレツ弁当を食べ、しばらくデスクワークののち、後ろのスペースで2時間ぐらい昼寝をし、昨日契約した入金分を銀行口座に入れ、7時20分ごろ会社を出ました。土曜日の新聞折り込みの結果。物件広告に対する反響電話はありませんでしたが、ホームページの訪問者が増加しました。

あとは、魅力のあるページ構成を考えることと、地道にオフラインで宣伝することがいいかと思っているところです。オンライン広告はあまり勉強していないので、得意分野でやるほうがいいような気がします。

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車の点検

今日は午後3時に、青梅街道駅近くの小平日産まで車の点検に行きました。いまのっている車は話題の日産デイズで、去年の6月末に5年リースの契約をしました。ちょうど今月で1年点検で、リース契約の中に書いてあります。リースの場合は税金はリース会社が支払います。新車ですから車検はあと2年後になります。現在、ガソリンはリッター112円で自宅近所のセルフで入れています。

点検に1時間ぐらいかかるというので、青梅街道駅から国分寺の紀伊国屋書店に行き、何冊か本を購入し、4時45分ごろに、日産に戻り、点検費用を支払って帰社したら5時を少し回ってしまいました。大相撲を観て、7時20分ごろ帰宅。7時半に接骨院に行って右肩の治療。右肩のた血腫もほとんど吸収され、治療は今月で終了です。

それでもまだ、三つほどの病気を抱えていますから、油断はできません。明日は新聞折り込みが入ります。

紙媒体の減少

出社すると「新聞折り込み」用の原稿ができていました。ほとんど手直しなしで、OK。ただ、前に使っていたフリーダイヤルが機能しなくなっていました。また、折り込みを入れる際に、新聞販売店が、元原稿をチェックするようになっていて、時には、2日ぐらいかかるという、時代に逆効するようなことを言っていました。これでは、新聞離れ進むのは必然の結果だと思いました。

だいぶ以前から賃貸住宅に住んでいる方々は、新聞を取らなくなっています。ですから、不動産広告を新聞に折り込んでも、ほとんど電話などかけてくる方はいません。まして、新聞に折り込んだ不動産広告は不動産に全く興味のない世帯の新聞にも折込まれます。効率では、ネット広告には遠く及びません。

当社でも、駅前に店舗を移動してから、ほとんど新聞折り込みをやめていたのですが、今回、しばらくぶりでやってみることにしました。結果は初めからわかっていますが、ちょっぴりは期待もしています。明日は、26年間に当社が住宅購入のお手伝いをさせていただいたお客様に、暑中見舞いを兼ねて、個別の広告をしようかと考えているところです。

それから、新聞の宅配部数は、1000部単位で減少しているようでありました。われわれ、不動産会社に宅配される不動産図面も、どんどん薄くなってきて、商圏内の情報は、1回の配布につき4枚もあればいいほうで、新築戸建以外の中古住宅とか中古マンション、土地などはほとんどありません。

折り込み広告

昨日と今日は会社が連休でした。ただ、当社の専務はほとんど休みなしに会社に出ています。特に私が体調を崩してからは、より負担が多くなっています。このところ、ホームページの反響が今一つ。やはり、オンラインとオフラインの広告をバランスよく使うことが大切です。

というわけで、彼に新聞折り込み広告の原稿を作るように、11日に帰宅するときに頼んでおきました。昨日は、午後6時にお中元の手配を終わりました。その間、石田純一氏が都知事の出馬を取りやめ、新たに鳥越俊太郎氏が出馬を表明。さらに、もう一人の票の分散にかかわりそうな、宇都宮健児氏が午後8時ごろに撤退。全くめまぐるしい一日でした。

不動産広告も、目玉商品がなければ電話は1本もなりません。都知事選も同じで、やはり、だれが見ても魅力のある候補でなければ票を集めることができません。今回は与党不動産の目玉候補と野党不動産の目玉候補のどちらが魅力があるかの戦い。

結果は今月の31日に出ます。ホームページも土地、中古戸建、中古マンション、新築戸建と範囲を広げすぎるのが強者の戦略。一方、一点集中で、何を選ぶかが弱者の戦略であります。強者でも分裂はマイナス要因です。

読書

3月に検査を受けて以来、じわじわと体重が減り始めました。糖尿病治療のため糖質制限食を10年以上続け、今年の2月までは、牛肉と魚を中心とした食事をしていたのですが、病変を指摘されて以来、野菜中心の食事に切り替えたため、少しずつ筋肉が落ちてきたわけです。約4か月で3キロぐらい体重が落ちました。

それまでは、下見と言って住宅や土地やマンションなどを見て回ったり、管理アパートの掃除をしに行っていたりしていたのですが、歩くことが億劫になってきました。最近では、会社のほうも火曜日と水曜日は休むようにしています。自宅にいての私用で疲れると、横になることができます。その結果、文庫本をかなり読みました。今日で池井戸潤氏の「七つの会議」を読了しました。

読書についての体験を書こうと書き出したのですが、どうやら、もう少しで、日付が変わりそうなので、続きは、明日にしましょう。

参議院選挙

今日は、参議院議員選挙の投票があり、同時に大相撲の夏場所が始まりました。私も選挙に行きましたが、ほとんど年輩の方ばかりで、若者の姿はほとんど皆無でした。投票率も前回を上回ったものの、相変わらず低く、予想通り与党に有利の流れ。これは、野党第2党の民進党が、前回の選挙交替で、突然、国民を裏切り、消費税の増税を言い出したことを、国民は忘れていないということです。

さらに、党名を変えても、その中心人物が候補者の応援に回っていることも原因でしょう。以前は、私の家族にも「誰それに入れて」と言っていたのですが、最近は、いうのをやめました。興味は明日、都知事選挙の野党の統一候補にだれがなるかに移っています。今日は、体調がまあまあで、久しぶりに、会社の椅子で40分ばかり仮眠しました。

とにかく、何事でも、一度できてしまったことは、元の昔に帰らないのであります。これを「百の説法、屁一つといいます」

明日から、少し早く出社できるようにしたいと思っています。

都内に出かける

昨日は午後3時につくように、都内のクリニックに行ってきました、朝から体調が思わしくなく、さらに暑さが厳しく、駅から10分ほどの道のりがとても長く感じられました。今回は2回目なので、投薬の継続ということで、問診のみで早めに帰途につきましたが、会社についたのは午後6時前で、暫く残務をして帰宅しまし、接骨院の通院をやめて、早めに寝てしまいました。

足の甲のむくみもとれて、やれやれといったところで、ブログのほうは休ませていただきました。話は変わりますが、都知事戦は与党がどうやら分裂選挙になりそうなのに、野党は統一候補がなかなか決まらず、一強他弱状況から脱出不可能な状況でしたが、今朝のスポーツ紙の一面に、俳優の石田純一さんが、名乗りを上げる。という記事が載り、午後3時ごろから記者会見がありました。

当初、また、タレント候補かというがっかり感がありましたが、会見を聞いていて、とても新鮮な感じがしました。手あかのついた既存の政治家より、かなりしかりした受け答えで、やはり、荒波にもまれた人間のしたたかさが、底流を流れていると思いました。

さっそく、政治評論家やコメンテーターが、したり顔で横槍を入れていましたが、最近では、彼らは所詮、権力側の提灯持ちであると、ほとんどの人は気が付いていて、本人たちだけが気がついていないふりをしているだけ。ここで、野党が彼を担がないようでは、野党の人たちも、フレキシブルな思考回路が欠落し、空気が読めない、人々であって、100パーセント与党の候補に勝てないでしょうね。

最近では、「物言えば唇寒し」という管理社会が進行しつつあり、どんな分野でも弱肉強食、一強他弱情況が進み、一般庶民は大きな鍋に入れられた、ゆでガエル状態が」進行中であります。石田氏を候補にすれば80%ぐらいのの勝率がありそうな気がするのに。そうでなければ、おそらくKが60%の勝率。あとは、互いに票の分散協力者。

しかし、参院議員選挙の結果で、5回転ジャンプぐらいのウルトラDがあるかもしれませんが。街の不動産屋のたわ事と、お聞き流しのほどを。

体調不良

昨夜、ブログを書き終わって、寝ようとしたとき、両足の甲がむくんでいるのに気が付きました。昼過ぎに会社に出ようと思っていたのですが、なんとなく一日だらだらと食べ過ぎて、体調が崩れてしまったようです。そんなわけで、今日は、朝からなるべく横になるようにしながらたまっていた競馬の資料を整理しました。

なんと、今年の2月からの資料がたまっていました。そんなわけで、昨日の続きは明日以後になります。明日は午後3時にまでに、蒲田まで出かけます。たぶん帰りは7時過ぎごろになるような気がします。しあさっては、かかりつけのクリニックで鍼灸と、診察があります。その時、浮腫みに効くお薬を処方してもらおうと考えています。

一難去って、また一難の日々が続きます。

6年、4年、26年6ヶ月

昭和55年9月、立川市にあった、二つの不動産会社に電話をかけました。かなり緊張し、ドキドキしながら電話をかけたのを覚えています。最初に電話したのがマイホームセンター。たまたまだったと思いますが、これが不動産屋というイメージ通りの対応でした。なんだかもう一軒の会社に電話するのに、しばらく躊躇しましたが、意を決して電話しました。大げさに言うと天と地ほどの対応の差がありました。

翌々日、対応の良かった朝日住宅の三鷹本社に面接に行ったところ、応募してきた人が5人ほどいたと思います。本田さんという50代から60代ぐらいの方が面接担当で、簡単なペーパーテストののち、5人とも合格し、翌日から各支店に配属されることになりました。それぞれ、応募してきた人たちが住んでいる近くの支店に配属されたようです。半年後3人はやめたということでした。合格の後、本田さんは、自分ははこの会社のインストラクターだと名乗り、一時間半ほど、不動産会社の社員としての心得について説明しました。

その時、本田さんは「君たちは今日から不動産のプロになったんだから、そのつもりでお客さんに接してください」というような意味のことをいったということです。私なりに解釈すると、「何年も不動産会社で働いているベテランのようにふるまうのだよ、そのためには日々努力しなさい」ということを言ったのだと理解しました。しかし、内心は、予想通り「やっぱり不動産会社は怖いなぁ」とも思いました。

私は、立川市の菊屋川口ビルにある朝日住宅立川市の営業2課に配属になり、課長は上島さん。1課は高崎さん、三課は安藤さん、4課はなく、5課は菅さん。店長が丹間さんで、営業部長が佐藤晴さん。あとは事務員の女の人が何人かいました。かくして、私の不動産屋の日々が始まったのであります。その時、私は44歳。定期券を購入する際に年齢欄に44歳と書くのがものすごく抵抗感がありました。

そのころの営業方針は、三日以内に訪問、案内に誘う、「案内なくして契約なし」、営業スタイルは「スピード、スマート、ストロング」
であります。

不動産屋との接点Ⅲ

鷹の台に住んでいるときに長女が生まれ、所沢で長男と次女が生まれました。今考えると、もう二人ぐらいいたらよかっなぁーと考えることがあります。所沢にいるときに、腎盂炎で入院し、それまでやっていた商売をやめ、昭島市に転居しました。転居先は昭島市朝日町。この時、引っ越しの方位を使いました。青梅線の中神駅前の小川不動産で「原茂コーポ」という2Kのアパートを二部屋借り、しばらくして、子供たちが柴犬の雑種をどこからか拾って来ました。名前はチビ。

転居後しばらくして、近所のマイクロフォン加工会社で働き始め、給料は7万円でした。仕事はマイクロフォンのコードの加工やマイクロフォン部品の半田付けしてもらう内職先を回る仕事が主で、それ以外は、ラインを流れてくるマイクロフォンに名盤という販売会社のネームを張り付ける仕事の手伝いと、完成したマイクロフォンを、三鷹にある「プリモ」という元受会社に納品する仕事でした。

二年に一度、借りたアパートの更新があり、畳やふすまの張替えをしてくれる代わりに、賃料を3000円上げてくれと言われて、小川不動産の社長を事務所で追いかけまわしたことがあります。しばらくして石油ショックがあり、加工会社の仕事に陰りが見え、それから何年か、いかがわしい会社を二軒ばかり、渡り歩いたのち、立川市にある朝日住宅で働くことになりました。

朝日住宅で働き始めて間もなく、昭島市から、立川市の公団住宅に転居。この時、二度目の方位を使いました。この時は、不動産会社との接点はなし。それから、ずーっと不動産業にどっぷりとつかったまま、現在に至っているわけであります。

不動産屋との接点Ⅱ

前回、国分寺国際劇場の前にあった不動産事務所の一人に、新宿の大きな浴場を含む娯楽施設であったと書きましたが、その時、私はその施設に依頼されて、その年の「ダービーの予想」をしていました。相手も驚いたことでしょうが、私もびっくりしました。その一年ほど前、私は東京スポーツ出版局から「気学入門・競馬編」という競馬本を出すことになりました。

その関係で、その施設から講演?依頼されたわけでした。「あれっ、こんなところで、なにしてんのっ?」ということで、手短に、その経過を説明しました。そのもっと後に、彼が東小金井市で「ワタルホーム」という不動産会社を経営していて「お金の匂いのする不動産屋になりたい」という年賀状をくれたことがあります。競馬との出会いは、後日、改めて書くことにします。

話は前後しますが、私が育った大山という町には昭和33年時点で、不動産会社というものは一軒もありませんでした。鶴岡市にあったかどうかは調べていないのでわかりません。もちろん、売ったり買ったり、貸したり借りたりする場合に、その間を取り持つ「ブローカー」らしい者はいたと思います。

ちょっとしたトラブルから映画館を退職し、国分寺市内に変形の3畳の部屋を借りた時も、不動産屋との接触なしで決めたような気がしますし、大体、私自身に自分で家賃を払ったという記憶は全くありません。ほとんどが、私と一緒にいた相方が、そのほうの手配をしていのではないかと思います。

国分寺市の映画館をやめた私は中野の「光座」という映画館に転職し、国分寺の変形三畳の部屋から、光座に通いました。当然のことですが、大学のほうは自然にご無沙汰状態になっていました。国分寺市ではその後、二回転居しましたが、その時も、私自身は不動産会社とは接触していません。

光座のあと、吉祥寺でバーを二軒ほど転々とし、次は国分寺市の北口で「焼き鳥屋」をやることになりました。そのあとで、国分寺市の「プリンス」というバーで何年かすごしたのち、西武国分寺線の「小川駅」に、プリンスのお客さんが始めた「ドン」というバーにスカウトされることになります。

そのあと、西武国分寺線「鷹の台駅」から徒歩5らいのところにあった、新築2Kのアパートを借りるときに、初めて不動産会社のおじさんに接触した。それが、当社の目の前にある「高田不動産」の先代社長でした。しかし、ここでも、家賃がいくらだったか、全く覚えていません。先代社長が二人連れの私たちに「兄妹?」と訊いたのは鮮明に残っています。


さらに、鷹の台から所沢市に転居、所沢市で一回転居。その時も、私自身には、不動産会社と接触した記憶も、家賃を払った記憶も欠落しています。一体、私は何をしていたのでしょうか。何年か前、三人いる、子供たちに、私の若いころのことを聞く機会がありましたが、子供たちの記憶にある私は「本を読んでいるか、ごろごろ寝ているか」だ、と言っていました。【不動産会社との接点Ⅱ】終り。

不動産屋との接点Ⅰ

記憶をさかのぼると昭和34年ごろの様な気がします。当時国分寺の大学生だった高校の同級生の紹介で府中の映画館で働くことになりました。前年にある私立大学に入学したものの、なかなかアルバイト先も見つからず、いったん里帰りしていた私に、その同窓生から連絡があり、映画館の中に泊まれる部屋もあるということで、再度上京しました。

当時、やっと白黒テレビが売り出されたころで、まだ娯楽の中心は映画であったころでした。まさにこれから高度成長が始まろうという時期で、東京全体が活況を呈しつつあったようですが、私自身には時代の風を感じるような感性は全くありませんでした。映画館の名前は「府中国際劇場」といい、松竹、大映と東栄か、東宝の映画を映写していました。

すこし離れた府中市役所の近所に「府中新映座」という映画館、国分寺に「国分寺国際劇場」、東上線の成増に「成増国際劇場」と四つの映画館を経営していました。ひとまず、寝る場所と生活費の確保ができて、新しい日々が始まりました。映画は封切館、弐番館、三番館とあり、三番館あたりになると三本だてで、確か70円の入場料だったと思います。

なぜ映画館に努めるようになったかというと、昭和30年に高校を卒業し、最初の受験に失敗、一浪中の8月に、父親が急逝しました。その頃、アルバイトというものなどほとんどなく、まして、山形県の西田川郡大山町などという小さな町には、働き口など全くありませんでした。

というのも、私自身には42歳の母親のもとに残された男ばかりの五人兄弟の長男なんだから、父親代わりに地元で就職するという意識が全くありませんでした。そんなわけで、親身になって就職の世話をしようとすると、はなから拒否反応を起こすという、小生意気な浪人生だったわけであります。一度、父親が亡くなってから、母親の小学校の同級生だった定時制高校の教師をしている男に、その高校の代用教員にならないかと誘われたことがあります。

受験勉強中だった私は、彼に「キャッシュ、プロフィット、インポータント」の意味が分かるかと諮問され、即答できなかったという屈辱的な記憶があります。やがて、その男は、どうやら癌で亡くなったようなことを聞きました。

三年間、田舎で土木関係の日雇い労働者、鉄工場の工員、そして、高校の担任教師の紹介で、一年という約束で鶴岡市にあった「ふみや書店」の店員として働き、そのあとで、大山会館という映画館で働くことになり、その年に二級映写技師の試験に合格しました。何年か前、このふみや書店が東村山の東口に移転していたと聞きましたが、現在は影も形もありません。

高校を出てから三年間の宙ぶらりんなの中で、一度、防衛大学校に願書を出したことがあります。しかし、願書を出したことなどすっかり忘れてしまい、気がついたのがパチンコをしている時でした。この時の映写技師の資格によって、映画館で働くことができたわけです。府中国際劇場の映写室には三人の映写技師がい、技師長は古川さん、あと二人は私より二、三歳ほど年長の伊藤君と関崎君という映写技師がいました。

今考えると、驚くのですが、若い映写技師の二人は当時から株をやっていたということです。私が寝泊まりすることになったのは、映写室の隣にあった3畳の和室でした。暫くして、私は、国分寺の国際劇場に転勤しました。国分寺国際劇場には辻本さんという技師長がいて、もう一人いた映写技師がやめ、私が補充されたもののようです。国分寺国際には部屋が二つもありました。

その映画館の前に小さな不動会社の事務所があり、経営者にはあったことはありませんが、若い社員が二人いて、よく事務所の前に立っていましたが、会話を交わしたことはありません。それから10年以上たったころに、新宿の大きな浴場でその中の一人にばったり遭うことになります。不動産業者との接点Ⅰ終り。

健康

今朝は紹介状がなければ診察してくれない、大きな病院に行ってきました。再診です。本当はキャンセルしたかったのですが、かかりつけのお医者様に紹介していただいた病院でしたので、半分は義理で行ってきました。最近になってわかってきたことですが、病院は規模が大きいから、公立だからと言って、よい先生がいるとは限りません。

ネット社会になり、検索機能が飛躍的によくなり、自分の症状に合わせた検索用語を入力すると、隠れた名医を探すことができるようになりました。ただ、日本の医療体系は部分医療になっていて、目なら目だけ、歯なら歯だけというように、人間の体全体を診て判断することはありません。

あるブログを書いている人は「医者は病気を治せない」と言い切っています。これは極端な例だとは思いますが、つまるところ、体の不調を修復するのは、各個人の免疫力だということになるような気がします。最近になって、糖質制限食が脚光をあびていますが、本来、糖質制限食は、京都の高雄病院の江部康二先生のお兄さんが行っていたⅡ型糖尿病の食事療法で、弟さんの康二先生が試しにお兄さんの食事療法を採用してみたら劇的に治療効果を上げたことが始まりです。

それ以後、本格的に文献等を集め、研究を開始し、少しづつ市民権を得てきた食事療法なのであり、日本では江部康二先生が嚆矢であり、先生の「ドクター江部の糖尿病徒然日記」という有名なブログが2007年2月27日から始まり、現在もも更新されています。ただ、腎臓病の方はこの治療法はやることはできません。

その中の炭水化物制限だけがクローズアップされ、最近になって、さも自分は前から知っていたなとどいう著作が次々と出ています。自分で深く、時間をかけ、研究もせず、つぎはぎだらけの知識を本にして出版する人が多くなり、嘆かわしいことであります。また、本来、糖尿病治療は、カロリー制限と運動療法が、これまでの日本の糖尿病治療の主流でありましたので、今でも、鼻先で嗤う先生のほうが多いようです。

糖質とぃっても、ごはん、パン、そば、うどんなどは食べてすぐ糖分として消化吸収されるわけではなく、いったんいろいろの要素に分解され、その中の糖質部分が血液に取り込まれることになります。他方、果物の果糖や、ケーキやアイスや和菓子などに含まれる砂糖などの精製された糖質ははそのまま血液の中にダイレクトに取り込まれます。

健康体でインスリンの分泌が正常の人は、インスリンによって血液中の血糖値がすぐに正常値になりますが、Ⅱ型やⅠ型の糖尿病を患っている人や、境界型の糖尿病予備軍の人は、血糖値が200以上に上がり、血管壁を傷つけることになるようです。何はともあれ、病気は、自分で治すことを心がけることがいいと思います。
プロフィール

オーパ

Author:オーパ
30数年前、それまで追いかけていたことに疲れてしまい、「不動産屋でもやってみようかな」と思い立ち、二つの不動産仲介会社に電話をかけてみました。二つのうち一つの会社は消滅してしまいました。残る一つは、まだ存続しています。今思えば、何をしたいかという明確な考えがなかったことに気が付きます。

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